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宗教はこうやって生まれる【かもめのジョナサン】

ときどき、めちゃくちゃオススメしている人を見かける作品、「かもめのジョナサン」を読んだ。しかも「完成版」ということだ。

 

Part Four は今回始めて付け加わって、なるほど、これがあるのとないのとでは印象がガラリと変わるなあと思った。

他のかもめ達が日々の餌が取れるだけの飛行技術で満足しているところ、飛ぶことに魅せられ、毎日朝から晩まで飛行技術を磨いているジョナサン。

海に突っ込んでしまったり、傷を負ってしまうこともしばしばだが、本人は気にしない。

しかし、あることがきっかけで群れから追放されてしまう。

追放先でも飛ぶ技術を磨いていたジョナサンだが、ある日とうとう力尽きようとしたとき、自分より遥かに飛ぶことのできるかもめ2羽がお迎えとしてあらわれ、天に召される。

天国には何百年も飛行技術を磨いているかもめがたくさんいた。ジョナサンは師匠となるかもめをみつけ、驚くべき速さで腕を上げていく。

しかし、いつしかジョナサンは追放された昔の群れの仲間達のことを思い出すようになり、彼らに飛び方を教えたいと思うようになる。

 

仲間のもとに戻ったジョナサンは、かつての自分のように飛び方を研究しているかもめをみつけ、彼を弟子にとって飛び方を教える。

 

群れのかもめたちは、彼らをあいかわらず白い目で見ていたが、やがて2人の姿に惹かれ、ジョナサンに弟子入りを希望するかもめがあらわれてくる。

弟子の数が増えていき、一番弟子の成長を見届けて、あとのことを彼に託し空へと帰っていく。

 

というところでPart Threeが終了。

 

魂が求めることをただひたすらに続けることの偉大さ、周りに男と言われようと己を貫く一身さ。そういったものがよく表現されていると思う。

 

「我々の肉体は思考によってできている」

「彼らはほんとうの自由というものを理解し始めていて、そのための練習をすでにはじめているというだけなのだ」

「正しい掟とは、自由へ導いてくれるものだけだ」

 

とか、自己啓発書のような文句もでてくる。そういった寓話としてよくできていると思う。

 

それが、完成版としてつけくわえられた最後のPart Fourになると雲行きが変わってくる。

 

ジョナサンは神格化され、ジョナサンに直接教えを受けた直弟子は羨望の目でみられるようになる。

多くのかもめ達は飛行訓練の傍らジョナサンについて語り合うようになる。

やがて、飛行訓練よりもジョナサンについて語ることに多くのかもめが熱心になっていく。

 

直弟子たちへも飛行技術や訓練方法ではなくジョナサンの姿や言動、それも一字一句性格に、質問するようになり、直弟子たちをうんざりさせるようになる。

そんな細かいことはどうでもいい。大切なのは飛ぶことなのに。

そして、直弟子たちが一人残らず寿命でいなくなるころには、餌を取るため、危険から逃れるための最低限しか飛ぼうとせず、あとはもっぱらジョナサンについて語るのみとなっていく。

聖職者のようなかもめもあらわれ、正しい聖ジョナサンの言葉、教えを伝えていくようになる。

やがて、そんな「宗教」に疑問を持つかもめが現れる。彼はジョナサンの言葉よりも行動に興味をもち、ジョナサンのように飛んでやろうと練習を始める。

そんな彼のもとへ信じられないような飛び方をするかもめが現れる。

 

 

と、そんなところで物語は終わる。

 

正しく伝えるものがいなくなると、あっという間に道から外れてしまう。

誰しも楽な方に行きたがる。飛ぶ練習をするより、聖なる存在について語り合うほうが楽だから。

結局のところ、多くのものを導くことはできない。そのための情熱を持ち続けられるものだけだ。

 

と、教訓的なことはこんなところだろうか?

 

Part Three までと Part Four 最後までで、印象補大きく違ってくる。

しかし、やはり最後まで読むべきであるように思えてくる。

飛ぶことに情熱をもやす、かもめで有りたいと強く思った。