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ただただ浅野内匠頭が可哀相な物語【あの日、松の廊下で】

前回の「義経じゃない方の源平合戦」と同じ作者の方の作品です。

 

ご存知、忠臣蔵での冒頭、松の廊下の事件が起こるまでを描いた小説です。

 

これがこのブログのタイトルにも書きましたが、ただただ浅野内匠頭が気の毒におもいました。もちろん、江戸城内で刃状沙汰に及んだわけですから、どんな事情があれ浅野内匠頭が悪いといえばそうなんですが、それで片付けてしまっては、あまりに酷というものでしょう。もちろん、この小説の中では、の話ですが。

 

といってもこの小説の主人公は浅野内匠頭でも、吉良上野介でもなく、梶川与惣兵衛(かじかわよそべえ)です。「殿中でござる、殿中でござる」といって浅野内匠頭を抱きとめた人です。

 

物語は主にこの与惣兵衛の視点で語られます。与惣兵衛の目からみて、浅野内匠頭吉良上野介の両名はとても立派で尊敬できる人物なのです。その三名が勅使饗応役という大事なお役目を立派に果たすため、一致協力して事に及ぶことができずに盛大にすれ違っていきます。そして、すれ違った結果生じた軋轢が、なぜか浅野内匠頭一人に降り掛かっていきます。そして、最悪のコンディションで儀式の当日を迎え、悲劇的な最期を迎えます。しかも、浅野内匠頭は自分のことでキレたわけではなく、与惣兵衛をかばった結果だというのが、また泣けます。

 

誰が一体悪いのか?あえてランキングをつけるなら、一番は将軍・徳川綱吉。次に側用人柳沢吉保。次に吉良上野介以外の指導役、赤穂藩江戸家老以下の江戸詰めの家臣たち……ということになるでしょうか?

 

吉良上野介は朝廷の礼儀作法や儀式にも通じ、公家とのパイプもしっかり持っている超ベテランでした。仕事に対する姿勢はとても厳しく、一切の妥協を許しません。下につく立場の者にとっては息が詰まりそうですが、本人は「いくら嫌われようとも構わん」という考えです。

 

その上、吉良上野介には自分と対等な同僚がいませんでした。彼は高家肝煎(こうけきもいり)の職に任じられていましたが、当初は他に2人の同僚がいました。彼らは上野介と同等の知識・経験を有しており、朝廷絡みの大事なお役目は3人でまわり持ちでこなしていました。

 

ところが、一人病死してしまったあと、幕府は後任を決めませんでした。そして、長らく高家肝煎2人体制で過ごした後、もうひとりも病死してしまいます。高齢の上野介一人残された状態で慌てて後任を任命しました。

 

そのため、高家肝煎吉良上野介が断トツの経験をもち、残り2人は実力でとおくおよばない、しかし、形の上では同格というなんとも歪な状態になってしまっていました。

 

その上、吉良上野介は将軍綱吉から密命を受けていました。それは、綱吉の母親に朝廷より特別高い官位を賜るよう工作せよ、ということ。それには吉良上野介の深い知識と交渉術、公家とのパイプ、何より莫大な工作費があってこそ可能なことでした。

 

綱吉はなぜ母親に高い官位を贈ろうとしたのか?それはただ親孝行のため。現代でたとえると総理大臣が母親への親孝行で多額の公金をつかいこんだようなもので、到底ありえることではありませんが、悲しいかな時は江戸時代。将軍様のご意向が全てです。

 

側用人柳沢吉保も、諫めるどころか即座に賛成して吉良上野介へ「金ならいくらかかってもいいから必ず実現せよ」というしまつ。結果としてこの密命が悲劇の遠因となりました。

 

一方の浅野内匠頭は下のものに対してとても寛大です。家臣をかわいがり家臣にも大いに慕われています。しかし、家臣の無能を許しすぎてしまう傾向がありました。何か問題が起きたら家臣に解決策を考える能力はなく、浅野内匠頭が率先して解決に動かないとなりません。

 

主人公の梶川与惣兵衛は、そんな二人の間を取り持ち、二人からともに味方だとおもわれます。

 

当時、毎年新年に幕府から朝廷へ年始の挨拶の使者が訪れます。その返礼として天皇の勅使が江戸を訪れ、その勅使をもてなす役目が勅使饗応役です。その大役をまかされたのが浅野内匠頭です。そして、その内匠頭に礼儀作法、儀式の所作をおしえる指導役が吉良上野介ですが、彼は先の密命のため朝廷への使者に選ばれていました。

 

そのため実際に指導するのは他の高家肝煎の人間が担当しましたが、彼らは上野介にくらべると知識経験が大きく劣っています。その上、赤穂藩からの謝礼が少ないとへそを曲げました。これは京都へ出発前だった吉良上野介が間に入ってなんとか収めましたが、しこりとして残ります。

 

指導役はやる気を無くし、ただでさえ能力に不安があるのに、指導もおざなりになります。その様子を見て不安を覚えた梶川与惣兵衛はその様子を書状にかいて吉良上野介へ知らせます。そして、ここから浅野内匠頭吉良上野介の二人の壮大なすれ違いが始まります。

 

  • 指導の進捗を事細かく報告を求められる。本来、これは指導する側とされる側双方に10日に一度京都へ書状を送ることになっていたはずが、何故か浅野内匠頭だけが送ることに。指導役と吉良上野介は形の上では同格なので、上野介も強く言えず、浅野内匠頭へのあたりが強くなる。
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  • 少しでも費用を抑えたい内匠頭は、指導役の言質をとって前年の費用より安く済ませることに成功するが、吉良上野介にひっくり返される。上野介としては密命を果たすためにも例年より費用を掛ける必要があったが、密命のため理由を説明できず、内匠頭の不信感は増大する。増えた分の費用も赤穂藩持ち。

 

  • 結局、例年より費用を掛けることになったが、江戸にいる指導役では具体的にどんな品を用意してどんな料理を手配すべきかよくわからない。吉良上野介の帰りを待っていては本番に間に合わない可能性があったので、急遽、梶川与惣兵衛が江戸に帰って来る途中の吉良上野介を捕まえて、浅野内匠頭が考えた目録を添削してもらう。与惣兵衛は合流に成功するが、目録は盛大なダメ出しをくらいその結果、浅野内匠頭赤穂藩士は品物の手配に忙殺されることになる。

 

  • 江戸に帰った吉良上野介浅野内匠頭の礼儀作法や所作が全然なってないとダメ出しをして、以後本番までマンツーマンのスパルタ特訓が始まる。浅野内匠頭としては、「ちゃんと指導どおりにしていたのに何で?」

 

  • それでもなんとか形になって、いよいよ本番2日前になって急に畳の交換が必要だと言われる。これには浅野内匠頭も大反発。実は吉良上野介が江戸に帰ったときに畳の交換は必要ないのかと確認を取っていた。このときは2ヶ月前に交換したばかりだから必要なしとの返事だった。それが土壇場でひっくり返ったのは上野介以外の指導役が「例年は畳の交換をしておりますが、今年はしなくてよいのですか?」と老中に余計なことを言ったから。上野介は保身から出た言葉と考えたようだが、内匠頭への嫌がらせの意味もありそう。何にせよ、これで内匠頭は2日間一睡もせずに本番を迎えることになる。追加の費用ももちろん赤穂藩もち。

 

  • 当然、浅野内匠頭は体調最悪で本番を迎えることになる。疲れと睡眠不足により儀式の最中にウトウトしたり、せっかく覚え直した所作を間違えたりする。幸い問題とはならなかったが、密命のことが頭にある吉良上野介は気が気でない。最終日に備え、早く帰って寝ておきたい内匠頭の前に上野介が現れる。長時間説教したあげく、明日は予定より大幅に早く登城せよと命じられる。もちろん早朝より特訓をするためだが、疲れを取ることが何より先決であるはずなのだが、不手際だったことは事実なので内匠頭は言い返せない。

 

  • 前日の二人のやり取りを偶然見ていた梶川与惣兵衛は嫌な予感がして、早朝特訓の様子をこっそり覗き見る。すると声を荒らげて浅野内匠頭の動作を直そうとしていた吉良上野介の手を内匠頭が払い除けてしまった。これは大変な失礼に当たるため上野介は激昂するが、そこへ慌てて与惣兵衛が中へ入って内匠頭をかばう。上野介としては「大事な儀式の途中で不手際をしておいて、更に特別に指導してもらっている分際で何たる無礼、疲れなど言い訳になるものか」という立場で、こちらの方が正論なのだが、憔悴しきった浅野内匠頭をずっとみていた梶川与惣兵衛としては、どうしても庇わざるを得ない。

 

  • 結局、その場は有耶無耶となり、儀式の最終日がはじまった。先程のことが納得行かない吉良上野介は松の廊下で梶川与惣兵衛を捕まえて、なぜ庇い立てしたのか厳しく問い詰める。「とてもお疲れでしたので」という梶川与惣兵衛と「疲れておればどんな無礼を働いてもいいのか」という上野介の話は平行線。そこへ運悪く極度に判断力の低下した浅野内匠頭が通りかかってしまった。彼には自分に味方してくれた与惣兵衛をあの野郎がいびり抜いているようにしか見えない。

 

こうして悲劇は起きました。綱吉は原因究明をすることなく怒りに任せて浅野内匠頭に即刻切腹を命じて死なせてしまったため、また、喧嘩両成敗の原則を外れて吉良上野介がなんのお咎めもなかったため、世間では様々な憶測がながれ、ついには討ち入りとなりました。

 

梶川与惣兵衛はなんとか尊敬できる二人の仲を取り持ち、平穏無事に儀式を終わらせるべく奔走していましたが、結局は最悪の悲劇が起きてしまいました。片や大名、片や高家肝煎の筆頭と身分にくらべて下級旗本似すぎない自分では何かと遠慮があって踏み込めなかった、そのせいでと自分をせめる日々を送ります。そんなことない、よくやったよと言ってあげたくなります。本来、そんな役目はなかったんですから。

 

なんとか事件の話を聞き出そうとする野次馬には沈黙を守り、やがて討ち入りの日を迎えます。

 

ヒーローとなった大石内蔵助も与惣兵衛に言わせると「無能の極み」です。筆頭家老なら江戸藩邸の家臣が無能なのは知っているはずなのに、助け船の一つも出さず事が起こるまでボートしておいて、主君が死んだあとで何をやっても遅い、ということです。

 

それに吉良上野介への尊敬の念もかわらないままでしたので、なおさらです。

 

それにしても、やっぱり浅野内匠頭はかわいそう過ぎる。

 

そして一番の戦犯はやはり綱吉。親孝行という個人的感情で無茶な命令を出したことが全ての元凶でしょう。そして、諫めるどころがそれを全面的に受け入れた柳沢吉保。その次に、吉良上野介の留守を何一つ守れなかったばかりか、よけいな一言で内匠頭に莫大な負担をかけた指導役。そして、主君の負担を減らすのに何一つ役に立たなかった赤穂藩江戸詰めの家臣たち。最後に吉良上野介はせめて一言でも浅野内匠頭をねぎらう言葉をかけてほしかった。一言でもあれば結果は違っていたような気がしてなりません。

 

それにしてもコミュニケーションが機能しないとどれほど恐ろしいことが起こるのやら。世間で「報・連・相。報・連・相」とやかましく言われる理由が改めてわかりました。