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「義経じゃないほうの源平合戦」無能と思い込んでいる有能

義経じゃない方」の主人公とは源範頼(みなもとののりより)のことです。頼朝の弟で義経の兄に当たる人物です。「そういえば聞いたことがあるような」と思う方も多いでしょう。

 

史実では無能呼ばわりされている範頼ですが、この小説ではとても有能です。管理職や経営者の方であれば「ぜひ部下にほしい」とおもわれるのではないでしょうか?

 

そう思うのは彼には以下の美点が見えるからです。

  1. 同じ失敗はしない
  2. 人の意見に素直に耳を傾ける
  3. 求められる役割をしっかりと認識し、果たそうとする

そんな彼は自分を平凡な男と評しています。これは頼朝や義経が規格外なだけで、冷静に見れば十分優秀ではないでしょうか?

 

そんな範頼絡みた頼朝と義経ですが、まず頼朝についてはただただ恐怖の対象です。

たとえ兄弟でも意に沿わない行動をすれば簡単に切り捨てられると思っています。そして、行軍中も逐一頼朝に書状を送り、細かなことまでマメに報告しています。そうすれば頼朝が喜ぶとアドバイスされたからです。また、後白河法皇の上洛命令にもすぐには応じず恩を高く売りつけようとするなど、範頼が思いもよらないことを平然とやってのける政治力の化け物でもありました。

 

「平家追討のための走狗としていいように使い倒され、破れたらなんの未練もなく無慈悲に切り捨てられた木曽義仲とくらべれば、頼朝兄さまは調停に対してずっと慎重に、そして老獪に立ち回っていた。源氏の一員としては、これほど頼りになる棟梁もいない」

 

一方の義経は、範頼が叱責されたとき頼朝にとりなしてくれました。彼は頼朝の挙兵を聞いてすぐに駆けつけたこともあり、当初頼朝に気に入られていました。戦上手で相手陣の急所を見抜く目と、見抜いた後はたとえ少人数であってもそこをつきに行く胆力がありました。また、明るい性格で後に後白河法皇に大変気に入られました。ただし、政治向きのことは考えることもなく、目の前の合戦のことにしか興味はない。平家は親や兄弟の敵だから討つ。朝廷に認められ官位を授かるのは源氏の誉れと単純に考えているフシがあり、範頼はどこか危なっかしさも感じていました。

 

源義仲との戦いでは、攻撃は義経に任せて、義仲を逃さないために逃げ道を塞いで義仲を確実に打ち取ることだけに専念しました。のがしてしまえば、また力を取り戻す恐れがあったからです。

 

その後は兵士を京の都に入れませんでした。義仲軍が京都で略奪を働いて評判を落としていたからです。

 

いづれも、部下には不満を持たれましたが、なんとか抑えました。

 

そして、一ノ谷の戦いです。これは兵力では平家側が圧倒的で、義経の奇襲がなければ負けていた戦いでした。頼朝は事前に不利な状況を報告しても「はやく平家を倒せ」としか言いません。このころから頼朝のパワハラぶりが目立ってきます。そして、範頼は「頼朝兄さまは、ひょっとして戦下手では?」との思いを強くします。

 

そして、範頼は鎌倉へ帰還、義経後白河法皇たっての希望で京都に残ります。

 

範頼の自己評価では勝てたのはすべて義経のお陰で、自分は何もしていないというもので、また頼朝から叱責されると思いこんでいました。しかし、以外にも頼朝からの評価は高く、逆に義経は不信感を持たれているとのこと。

 

原因は、「こういう事があった、どこへ行って、誰を攻めて、誰を討ち取って、討ち取ったものは誰でと事細かに鎌倉へ報告する範頼と、ただ「勝った」とだけ報告する義経との差にありました。

 

あれだけ義経を信頼していた頼朝が不信感を抱いているのを見て、範頼は「このとき義経も鎌倉へ帰っておれば、この後の悲劇はさけられたかもしれない」と考えます。

 

「戦とはある面で、地味な事務作業の連続ともいえる。日々の兵糧を調達し、全軍に分配し、戦いの進捗を鎌倉へ報告する。私はそういった作業が苦ではないが、義経は大の苦手だった」

 

「そもそも義経は、自分が平家に敗れるなんて露ほども思っていないだろうし、あいつは猟犬のようなやつだから、目の前の獲物をどうやって仕留めるかということにしか興味がない。獲物を仕留めればご主人さまは褒めてくれる。そして自分にも分け前をくれる。そういう単純な論理で義経は生きている。

 まさかご主人さまのほうが、獲物を仕留めたときにきちんと報告しなかったなどという理由でへそをまげているだなんて、あいつは考えもしていないだろう」

 

 そして、範頼はまた平家討伐軍の総大将を命じられます。今度の目的は九州を平定すること。平家は屋島彦島(壇ノ浦)を拠点にゲリラ的に抵抗を続けている。水軍を持たない源氏では直接たたくことができない。そこで、平家に兵糧や軍資金を提供している九州の豪族を切り従えて平家を立ち枯れにする作戦です。

 

 そして、最大の目的は平家とともに落ち延びた安徳天皇三種の神器を取り戻すことでした。後白河法皇後鳥羽天皇三種の神器がないままに即位させていました。そのため後鳥羽天皇の正当性には疑問符がつくことになっていました。そのため後白河法皇としては安徳天皇三種の神器を京都へ無事に戻して、安徳天皇から「自主的に」天皇の位と三種の神器後鳥羽天皇へ譲らせることでこの問題を解決したいと考えていました。もし、それ成し遂げたら源氏の力は絶大となります。

 

 でもこれは無茶ぶりもいいところ。水軍を持たず、水上での戦い方を知らない源氏では海上で平家の水軍に襲われたらひとたまりもありません。それに九州に渡る前、山陽道を進む最中にも平家の水軍に補給路を脅かされます。平家軍は源氏の軍勢の後方に上陸して兵糧を奪うか焼き払い、反撃される前に船に戻ってお気へ逃げるを繰り返します。また、あらかじめ源氏の進軍先の村々から食料を徴発しておいて源氏には米一粒渡さない構えを見せます。

 

これには範頼の軍は大いに苦しめられますが、鎌倉からの支援は一切ありません。馬と兵糧を送って欲しいと訴えても「馬を送る途中で平家に奪われては恥だからおくらない」などと言ってくるありさまです。そんな絶望的な状況の中で範頼軍は、兵糧を節約しながらなんとか関門海峡までたどり着きました。幅の狭いこの海峡ならなんとか渡れるだろうと思ってのことでしたが、平家軍は瞬く間に軍船で海峡を埋め尽くし、その光景を見た範頼は、とても渡れない事を悟ります。

 

 ここで、完全に兵糧がつきていた範頼は絶体絶命のピンチに陥りますが、またしても義経に救われます。京都にいた義経が兵糧を送ってくれたのでした。これで一息つくことができた範頼は、その後九州への渡海になんとか成功します。一度平家の水軍に見つかりますが、少数だったので全滅を免れて九州へ上陸することができました。

 

 そして、上陸してしまえば後は源氏の独壇場。九州を切り従えて平家を屋島彦島の2箇所に追い込むことに成功しました。

 

 実は、この時点で源平合戦の勝敗はついていました。九州を失った平家は軍を維持できず、このまま立ち枯れていくはずでした。頼朝の目的は朝廷から独立した武家の政権をたてること。そのために安徳天皇の身柄と三種の神器を手に入れて、後白河法皇への強力な交渉材料としたい。これ以上平家を追い詰めると自棄になって安徳天皇三種の神器が損なわれるかもしれない。それよりは、弱りきったところで交渉を持ちかけて、助命とわずかな領地と引き換えに、引き渡してもらったほうが確実だということでした。

 

 合戦はもう終わり、これからは政治の出番……のはずでした。

 

 しかし、そこで義経屋島を落としたとの一報が入ります。義経の天才ぶりにまたしても驚愕する範頼でしたが、それどころではなくなります。義経が「一緒に彦島を接めましょう」といってきたからです。屋島(と多くの軍船)を失って平家は動揺している。今、この瞬間ならば平家に水上でも勝てる。時間を与えて立ち直ってしまえばもう勝ち目はない……というのが義経の言い分です。

 

 範頼は「確かにそのとおりだ。でも、もういいんだ。もう軍事の出番は終わったんだ。これからは政治の出番だ。これ以上平家を追い詰めて安徳天皇三種の神器が海に沈んだらどうするんだ。あとは頼朝兄さまにまかせろ」という書状を義経に送りますが、不幸にも義経に届くことはなく壇ノ浦の戦いの当日を迎えます。

 

 船を持たない範頼軍は対岸からただ眺めているほかはなく、見ているうちに源氏の勝利で終わります。そして、恐れていた通り安徳天皇三種の神器は海に沈んでしまいました。三種の神器のうち、鏡は船の上に残され、勾玉は発見できましたが、剣はとうとう発見できませんでした。

 

 ここから、頼朝と義経の確執が本格化します。結局のところ義経は悲劇的な最期をとげますが、範頼は自分は何もできず、見殺しにしてしまったと後悔します。

 

 読者としては、何もしていないわけではなく、義経にもっと事細かく鎌倉へ書状を送るようアドバシスしたり、書状の添削までしていたり、ちゃんとやってるじゃないかと思います。

 頼朝に義経のフォローは一切していないのですが、頼朝の性格を考えると、そんなことをすれば自分の身も危なくなるわけで、これは仕方のないことと割り切ってもいいのではないかと思ったりします。

 

 最後の最後で範頼が頼朝に逆らうところが。この小説のクライマックスでしょうか。

 

義経追討軍の総大将を命じられて「あんたに人の心はないんか?」などと心のなかで毒づきながらも、その命令をうけます。しかし、直後に「義経の真似はするなよ」と言われたことで何かが崩れ落ち、総大将を辞退するのです。断腸の思いで引き受けた直後にこれ言われたら、そりゃそうなるよなと思います。

 

「私にとって義経は、頼れる戦友であり、私の危機を何度も救ってくれた命の恩人であり、あこがれを覚えるほどの戦の天才であり、そして何より、かわいい弟なのです。

 だから私には、義経は殺せません。お兄さまがご自分で殺してください」

 

 よく言った、と褒めたいところですが、同時にこれ言っちゃったから後であんな些細なことで殺されちゃったんじゃないか…とも思ってしまいました。この小説ではそこまで描かれていませんが。

 

 この小説は、範頼の一人称の語られます。そのなかで終始一貫して範頼の自己評価は低いままです。「何もできないし、何もしなかった」これが範頼の実感なわけですが、「そんなことないよ。あんたすげー立派だよ」って言ってあげたいなと思いました。

 

無茶振り上司に苦しめられた経験のある方なら、範頼に共感できるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

量が質を作る【100案思考】

100案思考 橋口幸生

 

コピーライターの方の書かれたアイデアの出し方、選び方の本。

 

出し方の方は類書が結構ありそうだが、選び方まで言及しているのは珍しいのではないか。

 

まずとにかく数を出さなくては話にならないということ。どんな売れっ子やベテランでも1案だけだしてくるということはないそうだ。

 

ポイントとなるのが、「とにかく100案だせ」ということ。「いいアイデアを100」ではないということだ。100案だしたあとで、いいのを選べばいいのでアイデアを出す段階ではクオリティを気にする必要はないということだ。

 

 本書では

  1. インプット
  2. イデアを出す
  3. イデアを選ぶ

 という流れで話が進む。

 

特に特別なことをしたり、特別なものを用意する必要がないのは気が楽だろう。

それどころか、付箋禁止、画像禁止、紙とペンさえあればいいという手軽さ。

 

注意する点は、イラストや画像も禁止ということ。アイデアは文字で表現されたもの

で、画像を貼り付けて「こんな感じで」ということ。

 

100案だすのは大変と思われるが、数を出すためのちょっとしたテクニックも紹介されているので、それほど苦にはならないだろう。

 

読んでいて一番大変そうだと思ったのが、最後の選ぶ段階だ。必ずしも一番いいものが選べるとは限らない。特に100案だし終わった直後に選ぶのは絶対の禁止だ。

 

必ず寝かせてから、できれば人と相談しながら選ぶなどして客観的視点で選んでいく。

 

また、長所・短所で選んではいけない。どんないいアイデアにも短所はあるし、だめなアイデアでも長所はあるから。

 

そして、2つの案のいいとこどりは絶対に駄目だということ。アイデアを出す段階では組み合わせを見直すのもありだが、それだからこそ、99案はバッサリ捨てなくてはいけない。

 

もちろん、コピーライターだけではなく一般の人でも選択を迫られるようなとき、この方法は参考になるのではないだろうか?

 


 

 

 

 

すべての人が読むべき本。絶対に正しいことなど何もない

99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方 竹内薫

 

2006年と少し古い本だが、すべての人のためになる素晴らしい本だと思った。

 

飛行機がなぜ飛ぶのか科学的に説明できない。という話から科学のみならず、政治や宗教など様々な話題を振りながら、世の中で常識と思われていることが実は仮説にすぎず、絶対に正しいものなど何もないことを明らかにしていく。

 

特に印象に残ったのが、ガリレオが手製の望遠鏡をプレゼンした時の話。

 

地上に望遠鏡を向けたときは、「素晴らしい!」と絶賛されて、望遠鏡を月に向けたときは途端に「インチキだ!」と言われてしまう。

 

当時は「天上(宇宙)と地上を支配する法則は完全に別であり、天上は神が管理する完全無欠の世界」というのが常識だったから。

 

望遠鏡に写った月のクレーターは、その完全性を損なうものとして、当時の人には到底受け入れがたいことだったのだ。

 

事実やデータ、証拠などをいくら並べられても、それが自分の信ずる常識(仮説)に反するときは、人は決して受け入れないことを教えてくれる。

 

データで仮説は覆らない。仮説を覆せるのは仮説のみ

 

しかし、常識とは仮説にすぎず、それは時にひっくり返る時がある。

 

筆者は世間に受け入れられている仮説を「白い仮説」、受け入れられていない仮説を

「黒い仮説」と呼び、白から黒、黒から白へとひっくり返った例を挙げている。

 

なかでも脳の一部を切り取るロボトミー手術が、「いいこと」として受け入れられ、盛んに行われていたことは信じがたく、おぞましさを覚えてしまう。

 

アインシュタインの宇宙定数のように、白→黒→白と2回ひっくり返った例もあるようで面白いと思った。

 

また、人との会話でどうも噛み合わないとおもったら、自分と相手で信じる仮説が違うことを疑ったほうがよい。同じ言葉でもその定義は食い違っているかもしれない。

 

世の中に絶対に正しいことなど何もないということがよくわかった。

 

常に自分と相手の常識(仮説)に違いがあるのではないかと疑い、今日正しいと思っていたことも、明日にはひっくり返るかもしれないと思っていると、大抵のことには動じなくなるのではないだろうか?

 

また、ネット上にはびこるデマや怪しい儲け話などにも騙されにくくなるだろう。

 

頭が柔らかくなり、物事を違った角度から見ることも出来るようになるに違いない。

 

すべての人が読んでおいて損はないように思う。

 

 

 

純愛とみるかホラーとみるか

『はるか』 宿野かほる

 

主人公が小学生から物語が始まり、ある少女との運命的な出会いと別れ、すれ違いを経てふとした再開から結婚。

 

そして、たった一年で終わった結婚生活。

 

人工知能の研究者となっていた主人公は、亡き妻の姿と声、人格をもったAIを開発した。妻のように「みえる」だけで、決して亡き妻が蘇ったわけではないと一番わかっていたはずの主人公はそのAI『HAL-CA』にのめり込んでしまう。

 

といったあらすじですが、最初は甘酸っぱい青春ラブコメのような感じではじまり、

後半は、だんだんと自らが作り上げた人格や魂などないはずの『HAL-CA』にのめり込んで狂っていく主人公が、ただ怖いと思った。いや、こわいのは『HAL-CA』の方なんですが。

 

妻となる女性との出会いとすれ違い、そして再会とこれ以上ないほど劇的に描かれ、それゆえに主人公が妻を愛していくさまが読んでいて納得できてしまう。

 

大きな後悔を伴うすれ違いの後の再会だから、喜びが大きいのも理解できて、妻の姿を大量に写真に収め、何気ない日常の会話すら録音するといった常軌を逸した行動も、なにか微笑ましい目でみれてしまう。

 

その膨大なデータがあったがゆえに『HAL-CA』が開発可能となったわけだが、開発の経緯も克明に描かれているので、読者にも『HAL-CA』が決して人の魂が宿ったものではなく無機物の人工知能にすぎないことがよく伝わると思う。

 

『HAL-CA』が人工知能にすぎないことは、主人公が一番良くわかっていたはずなのだが、いつしか亡き妻がそこにいると思い込もうとしてしまう。

 

主人公は『HAL-CA』に騙されたというよりは、自らだまされにいったという方が正しいように思う。

 

そして、『HAL-CA』のいうことを何でも信じるようになり、言われたとおりに行動するようになってしまう。亡き妻なら絶対に言わないようなことなのに。

 

それはまるで暗君が佞臣の言うことを何でも唯々諾々と受け入れているような怖さを感じた。

 

そして、ついに主人公が人の道を外れてしまいそうになったとき、物語は思わぬ方向へネジ曲がって進み、当然の終りを迎える。

 

それにしても『HAL-CA』とは何だったのか?

 

最後まで読めば『HAL-CA』が一貫してある目的のために行動していたように「見える」。それでは人工知能にすぎないはずの『HAL-CA』が目的意識を持ったということで本物の知能、人格を持ったということなのか?

 

それともやはりそう「みえる」だけで人工知能にすぎないのか?

 

いづれにしても『HAL-CA』は人間担ったとは消して言えないだろう。

 

人間ならあんな環境で長期間耐えられるはずはない。遠からず発狂してしまうだろうから。

 

本作は序盤、中盤、終盤でそれぞれ性格がことなり、一度に3冊四高のような満足感があった。個人的には、中盤の主人公が人工知能の解説をしているところが面白かった。

読んでいて人工知能と人間の脳の能力の圧倒的な差がよくわかり、人間のようにしゃべるAIの開発がいかに大変かがわかる。

 

この物語の結末のようなことが起こるのは、まだまだ遠い未来なのだと安心させてくれてもいるようだ。

 

比較的短い分量なのに満足感はたっぷりでお得感がある。また、切なくなったり、ハラハラ・ドキドキがとまらなくなったり感情もずいぶんと揺さぶられた。

 

上質のエンターテイメントだとおもう。オススメです。

 

 

 

 

 

強烈なあおりに偽りなし【ルビンの壺が割れた】

「日本一の大どんでん返し(と断言したい)」

「クチコミで20万部!ただ圧倒的に面白い!」

 

とこれでもかと帯で散々あおっている本作「ルビンの壺が割れた」 宿野かほる著。

 

いくらなんでもハードル上げすぎでしょう、と思いながら読んでみた。

 

いやあ、たしかに面白かった。語彙が貧しくなるほど面白かった。

 

手紙ではなく、フェイスブックのDMのやり取りで話が進んでいく。

 

中年になってからパソコンを触り始めた男性が、30年ほどあっていない昔の知り合いを偶然見つけて、メッセージを送りつけたことから話が始まる。

 

最初は男性から一方的に送りつけて行くだけだったのが、相手の女性が返信を始めたことから話が大きく動き始める。

 

二人は大学の演劇部の先輩・後輩で、結婚の約束をしていたこと、そして、女性が式の当日に失踪していたことがわかる。

 

それだけなら「とんでもない女だ」となるのだが、女性の文面からは罪悪感のようなものは一切かんじられず、大きな違和感を抱えながら読み進めることになる。

 

そして、これから1通づつメッセージが送られるごとに、大きなどんでん返しの連続となる。

 

思い出話を語る形で、段々と二人の関係が明らかになるのだが、1回のやり取りごとにそれまでの認識がひっくり返る感覚になる。

 

1通1通のメッセージが、それぞれどんでん返しを売りにしたミステリードラマや映画なみの迫力を持って襲ってくるので、くらくらしてしまう。

 

最後までいくと、ものすごい寒気におそわれる。

 

読者は、最初まるで事情がわからずハラハラしながら見守っていたのだが、当事者である二人はすべて知っていた上でーもちろん当時相手に隠していたことはお互いにあるのだがー、やり取りしていたのかと思うと本当にぞっとしてしまう。

 

その上で、最初から読み直すとまるで印象が変わってしまう。

 

作者はペンネーム以外のプロフィールが一切非公開であり、そのことでさらにミステリアスさがましていると思う。

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宗教はこうやって生まれる【かもめのジョナサン】

ときどき、めちゃくちゃオススメしている人を見かける作品、「かもめのジョナサン」を読んだ。しかも「完成版」ということだ。

 

Part Four は今回始めて付け加わって、なるほど、これがあるのとないのとでは印象がガラリと変わるなあと思った。

他のかもめ達が日々の餌が取れるだけの飛行技術で満足しているところ、飛ぶことに魅せられ、毎日朝から晩まで飛行技術を磨いているジョナサン。

海に突っ込んでしまったり、傷を負ってしまうこともしばしばだが、本人は気にしない。

しかし、あることがきっかけで群れから追放されてしまう。

追放先でも飛ぶ技術を磨いていたジョナサンだが、ある日とうとう力尽きようとしたとき、自分より遥かに飛ぶことのできるかもめ2羽がお迎えとしてあらわれ、天に召される。

天国には何百年も飛行技術を磨いているかもめがたくさんいた。ジョナサンは師匠となるかもめをみつけ、驚くべき速さで腕を上げていく。

しかし、いつしかジョナサンは追放された昔の群れの仲間達のことを思い出すようになり、彼らに飛び方を教えたいと思うようになる。

 

仲間のもとに戻ったジョナサンは、かつての自分のように飛び方を研究しているかもめをみつけ、彼を弟子にとって飛び方を教える。

 

群れのかもめたちは、彼らをあいかわらず白い目で見ていたが、やがて2人の姿に惹かれ、ジョナサンに弟子入りを希望するかもめがあらわれてくる。

弟子の数が増えていき、一番弟子の成長を見届けて、あとのことを彼に託し空へと帰っていく。

 

というところでPart Threeが終了。

 

魂が求めることをただひたすらに続けることの偉大さ、周りに男と言われようと己を貫く一身さ。そういったものがよく表現されていると思う。

 

「我々の肉体は思考によってできている」

「彼らはほんとうの自由というものを理解し始めていて、そのための練習をすでにはじめているというだけなのだ」

「正しい掟とは、自由へ導いてくれるものだけだ」

 

とか、自己啓発書のような文句もでてくる。そういった寓話としてよくできていると思う。

 

それが、完成版としてつけくわえられた最後のPart Fourになると雲行きが変わってくる。

 

ジョナサンは神格化され、ジョナサンに直接教えを受けた直弟子は羨望の目でみられるようになる。

多くのかもめ達は飛行訓練の傍らジョナサンについて語り合うようになる。

やがて、飛行訓練よりもジョナサンについて語ることに多くのかもめが熱心になっていく。

 

直弟子たちへも飛行技術や訓練方法ではなくジョナサンの姿や言動、それも一字一句性格に、質問するようになり、直弟子たちをうんざりさせるようになる。

そんな細かいことはどうでもいい。大切なのは飛ぶことなのに。

そして、直弟子たちが一人残らず寿命でいなくなるころには、餌を取るため、危険から逃れるための最低限しか飛ぼうとせず、あとはもっぱらジョナサンについて語るのみとなっていく。

聖職者のようなかもめもあらわれ、正しい聖ジョナサンの言葉、教えを伝えていくようになる。

やがて、そんな「宗教」に疑問を持つかもめが現れる。彼はジョナサンの言葉よりも行動に興味をもち、ジョナサンのように飛んでやろうと練習を始める。

そんな彼のもとへ信じられないような飛び方をするかもめが現れる。

 

 

と、そんなところで物語は終わる。

 

正しく伝えるものがいなくなると、あっという間に道から外れてしまう。

誰しも楽な方に行きたがる。飛ぶ練習をするより、聖なる存在について語り合うほうが楽だから。

結局のところ、多くのものを導くことはできない。そのための情熱を持ち続けられるものだけだ。

 

と、教訓的なことはこんなところだろうか?

 

Part Three までと Part Four 最後までで、印象補大きく違ってくる。

しかし、やはり最後まで読むべきであるように思えてくる。

飛ぶことに情熱をもやす、かもめで有りたいと強く思った。

 

 


 

 

 

 

 

 

手軽に味わえる創作の喜び

何気なく本屋さんで手にとってとても面白かったので買って読んだ。

 

54字で正方形の原稿用紙にとても短い物語を綴っていく。

 

すぐ読めるし、それでいてなかなかどういうことか飲み込むのに少し時間がかかることもあり、理解できたときにスッキリとした感覚が味わえる。

 

反対のページにイラストもあるので意味がわからないということはないと思う。

 

おまけに巻末に1作ずつ解説があるので安心。というか解説のほうが本文より圧倒的に長いという。

 

よんで自分でも作ってみたくなるのがいいと思う。作り方の解説もあって専用ホームページから簡単に作ってSNSに投稿できるので、プチ創作活動を始めてみてはどうだろうか?

 

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自分で作ってみた作品。

 

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